YUKIの毎日がチートデイな話 YUKIの毎日がチートデイな話

#37 SNSこわい

2021年9月23日

こんにちは。毎日がチートデイのYUKIです。感染者減ってきましたね。リーマン時代、業績推移に一喜一憂していましたが今は感染者推移に一喜一憂… 数字に翻弄されるのはいつの時代も一緒ですw

さて、先日、あるライブ系のSNSで公式ライセンスで活動しませんか?という打診を頂きました。悩みに悩んだ挙句、やろうかなーと思いつつ挫折…。基本、人前に出るとか嫌なのです。嫌でも仕事なら出来るのですが、相応の志や意味を持てないと長続きしませんから‥。そんな機会があったので一応、なんとなくライブ系SNSってどんな状況!?ってのを調べてみました。まずは、詳しそうな友人に相談。

僕みたいなおっさんの話を誰が好んで聞くのよ??

友人にそう訊ねました。すると友人は「それは間違っています。今、暇人が多いんですよ。皆、暇なので需要があるんですよ」とニヤリ。

え?そうなの?そうなんだ… そう思って彼が見せてくれたのはTikTokのとある動画。ほんの数秒見ただけで笑ったwこれは中毒になるなと感じましたね。動画はアラサー女子が「社畜の休日」というテロップで行楽で賑わう人々の動画を背景に踊っている絵でした。ほんとに意味なんてないんでしょうけど、馬鹿らしくて面白い。そこそこの視聴者数もあるんですよね。

その日を境にインスタのリールなどの短編動画を観る習慣が出来てしまいました。「お~」と興奮するものもあれば、くだらなくて笑ってしまうもの、その種類は多岐にわたります。今更なのでしょうが、こんなもの作った人すごいなと感動しましたw

ただ、こえーなって思う事もあります。

今、子供たちは毎日のように「捨てる」動作が習慣化されています。SNSの短編動画は関心がなければ指でポイッ、ほれポイッ、といった具合に秒で創作物を捨てます。Youtubeにおいても未開の森を切り開く事無く自分の関心に紐づいた動画だけをチョイスしています。

やっぱ、こえーなって思うんです。

他人に関心を持てるか?

我々世代は、親のつまらないテレビ番組を一緒に見なければならない時間がありました。僕は野球ファンではありませんが、テレビをつければ巨人戦がやっていましたので父が巨人ファンであることは僕の思い出のひとつとなっています。ドリフを知ったのもきっと自分の力ではなく親の選択によるものだと思っています。あくまでも推測ですが、今子供たちの遊び方には無駄がないのかもしれません。僕たちは小さい頃から無駄を沢山与えられ、年齢と共にそれらを取捨選択してきた気がします。今の子供達にはどれだけの無駄を与えられているのか不安でなりません。自分にとっての無駄は他人にとっての宝である可能性もありますから、他人に関心を持てる大人になれるのか?がとても気になります。

ITテクノロジーの進化にインフラが追いついていないように思えますが、もっとも気になるのは人間。ついていかなければならない事とソノママにしておくものを明確にしていく必要がありそうです。今だからこそ商店街みたいなもの作って無駄な挨拶、無駄な世間話、無駄なおせっかい、そんな創造できたらいいなあと思う自分もいる。ナイモノネダリですかねw